なぜ馬鹿ほど0-100思考なのか? 正解のない世界で「正解」を求めるから扇動される
大衆にウケる話題は0-100なメッセージ
正解が存在しない世界。
これが私たちが生きている現実であり、社会とは「個人的な解釈」、あるいはその個人が大衆となった時に持つ「共同幻想」で動いています。
ある程度意識が拡張してくると認識の視座が上がり、こうした事に気づいてきます。
しかし、多くの人は「恐れ」から逃れるために正解を求めます。
そんな中で、0か100か? 白か黒か? 明確に答えを示してくれるのが、声の大きいインフルエンサーや評論家、あるいは政治家です。
こうした人たちが示す「正解」は、盲目的に扇動される大衆にとっての希望になります。
なぜなら彼らは、正解が存在しない世界において、あたかも「これが正解です」とうそぶくことで、救世主のように振る舞うことができるからです。
もちろん、声の大きな評論家やインフルエンサーに罪の自覚はありません(たぶん政治家には罪の自覚がありますが笑)。
彼らは無自覚であり、たまたま自分が正解だと思うことを喋ったり本に書いたりしていたら、みんなにウケてしまったというだけです。
よって、この原理に気づいている賢明なメッセンジャーほど、「私の話を信じないで! 鵜呑みにしないでくださいね!」と防衛線を張るものです(笑)。
仏教経典にしても、聖書にしても、TAO(道)にしても、最初から「これは例え話です」と断ってから話が始まります。
TAOに至っては「TAOとは〜!」と話し出した瞬間に、もうそれはTAOではないと伝えています(笑)。
低次元から高次元のことは、そもそも言葉で伝えることは不可能なのです。
なぜなら、言葉にした瞬間にそれは「二元的」になるからです。
スピ・陰謀論界隈で多い0-100思考の罠
例えば、私が好きなスピリチュアル界隈においては・・・
「波動が高いのが良い!波動が低いのはダメ!」
「次元が高いのが良い!次元が低いのはダメ!」
「魂のレベルが高いのが良い!魂のレベルが低いのはダメ!」
といった、二元論的な0-100のメッセージが大衆にウケます。
そして、「波動を高くする方法、次元上昇する方法、魂のレベルを上げる方法を、私が教えてあげます!」という動線でアプローチします。
これは、大衆が無自覚に抱える0-100思考を利用したマーケティングです。
0-100思考の危うさがわかる最たる例は、「〇月〇日〇〇時に地震が起きる」などの情報に簡単に振り回されている大衆の姿に見ることができます。
陰謀論の界隈においては・・・
「エプスタインの真相は〇〇である!」と話す人が出てきたと思えば、次の瞬間には「エプスタインの真相は〇〇ではなく、実は△△である!」と、これまた0-100思考の人が大好きな「正解」を示そうとします。
歴史に関しても、以前のブログでお話ししたように「正しい歴史」は存在しません。
教科書に載っている歴史も、陰謀論で語られる歴史も、どこかのインフルエンサーが語っている歴史も、すべては「解釈」の世界の話であり、個人的な、もしくは集団的な共同幻想でしかないのです。
よって、「本当の歴史」など存在しません。
→関連記事:歴史に事実は存在しない☆教科書の歴史も陰謀論もどちらも幻想物語です
この話は人間の認知システムの理解がないとなかなか伝わらないかもしれませんが、私たちは一人ひとりが、まったく違ったパラレルな時空間を生きているのです。
「一人一宇宙」
(仏教学者 横山紘一さん)

「事実は存在しない。存在するのは解釈だけである」
(フリードリヒ・ニーチェ)

メタ認知と弁証法
テーゼ(正)とアンチテーゼ(反)という対立する意見を統合し、より高い次元での結論(ジンテーゼ/合)を導き出す思考プロセスを「弁証法」と言います。
AI時代においては思考の外注化も叫ばれていますが、私自身は、この弁証法さえ意識していれば、あらゆる事柄に対して常に自分なりの最適解を導き出せると考えています。
これはケン・ウィルバー的に言う「ティール的思考」であり、メタ認知の結果として機能する高度な情報処理です。
視座を上げると、宇宙から社会を観察する宇宙人のような気持ちになれます(笑)。
この視座ができれば、ガソリンが値上がりしそうだからといって、ガソリンスタンドの前で2時間行列に並んだりすることはなくなります。
「石油が不足するからトイレットペーパーも不足するんだ!」というデマに騙されて、買いだめするような行動もしなくなります。
おかしな陰謀論に巻き込まれることもなくなりますし、同時に、ニュース報道を真に受けることもなくなります。
どこかのインフルエンサーの声につられて、聞いたこともないような株を買ったり、怪しい仮想通貨にうっかり手を出すこともなくなります。
老子(道徳経)の第5章に「天地は不仁なり、万物を以て芻狗(すうく)と為す」という言葉があります。
★天地は不仁なり
→ 人間から見れば、宇宙は仁徳がなく冷酷であるかのように見える
★万物を以て芻狗と為す
→ お祭りで使い捨てられる藁(わら)人形のように、虚無の宇宙から「有」の宇宙がただ理由もなく淡々と生成され、自然の循環サイクルとして動いている
この世界で起きることは、「人間の二元論的な考えなどお構いなしに、全自動で起きている」ということです。
そんな全自動で完全な宇宙においては、人間の二元論的思考は無意味です。
しかし、我々人類は「正解」を信じなければ、社会という共同体で生き残ることができなかったため、「集団的に正解を信じる」という共同幻想を抱えて生きてきました。
正解が存在しない世界で「正解探し」をしてしまうのは、自我(エゴ)の機構なのです。
人間が考える二元的な「正解か不正解か」は最初から存在せず、そんなものは時代や国、環境や家庭の価値観によって簡単に変わります。
今はアセンションの時代。
いよいよ自分軸を確立し、自分で自分の正解を定めて生きていく時代が来たと言えます。
これからの時代は、多くの人が「そもそも正解なんてなかったんだ!」と気づき始めます。
自律した精神を持ち合わせている方には楽しい時代になりそうですが、システムや社会にぶら下がって生きたい方にとっては、少々きつい時代になると予想されます。
それでも多くの方が0-100思考に陥ってしまうのは、その方が「ラク」であり、「安心」できるからです。
しかしそうした安心は、個人の解釈や判断という、危うい基礎の上に成り立つ虚構にすぎません。
正解が存在しない世界においては、誰が何を言っても「それってあなたの感想ですよね?(ひろゆき風w)」なのです。
その結果としてわかることは、目に見える現象など、つまるところ「どっちでもいい(どうでもいい)」ということです(笑)。
続く・・
今は本当にそうだと思えるようになりました。長年、身近な人の極端に悲観的な世界観を覆そうと試みましたが、結局無理だと悟りつつあります。自分との関係とか周りの人たちがどう思っているのかとか、そんな認識ではさぞ苦しかろうと思うんですけど、私の考えを受け入れられる訳もなく、正に違う世界を生きているようです。という私も自分の創り出した世界に生きている訳でどちらが正しいとか、どちらがよいかとかの問題ではないんですよね。まあ、今の社会情勢を見れば悲観せずにいられない気持ちも分かります。容易に誰かの言葉を信じて安心しようといてないだけでもましかな?私がその人の認識を変える必要もないんですけど、、、笑
早速のコメントありがとうくまいます(●´ω`●)ノ
身近な人との考え方の違いは、みなさん、コロナ以降に顕著に出てきた様ですね👀
わたしは仕事とかで普段よく会う人とは、価値観が違いそうな話はテキトーに相手に合わせたりします。
仲が良い人はそんなに意見が違わないのでよいのですが、どちらにしろ、一人一宇宙ですね〜🌈
人は変えられませんしね👀
軽くテキトーに考えるのが良いと思います(笑
こちらこそ、早速の返信、恐縮です。まだ現職中で忙しいんですけど、ノリさんから色々な情報や言葉を学ばせて頂いてます。紹介される本を読む時間もあまりありませんけど、それでもノリさんのおかげで要点が分かるので助かります。動画も声が聴けていいんですけど、私も文字で読んだり書いたりする方が好きなので、ブログを続けて頂けるとありがたいです。
(●´ω`●)ノ⭐️🐻