ノンデュアリティは、なぜ受け入れられないのか?〜人は自我の解体に耐えられない〜

スピリチュアリティ探求の行き着く先の非二元。

しかし、探求者にとっての非二元(ノンデュアリティ)は、受け入れられる人と、そうでない人、すぱっと大きく二手に分かれることが多い様に感じます。

わたしが非二元を知ったのはまだ数年前なのですが、大和田菜穂さんの言う様な「わたしはいない」というメッセージを、何故かすんなり納得してしまいました(笑

おそらく、若い頃に自分の存在感覚が曖昧になる体験を何度もしていたからだと思いますが、操作権を持った自分がいない!という気づきがあった時、生きることがずいぶんと軽くなったことを覚えています。

ノンデュアリティは貴方の夢や希望を破壊します

「龍神様にお願いすると願いが叶う」とか、「何処どこのパワースポットに行けば運気が良くなる」とか、「あの人は波動が低いので波動が高い私とは相性が悪いとか」笑 etc..

ちまたのスピ界隈では、この様な二元論が語られることが多いのですが、その全てをバッサリと切り捨てるのがノンデュアリティという、スピリチュアリティの行き着く先です。

「願いが叶う叶わない」という判断も、事実として、それは個人の解釈でしかなく、時系列という幻想の中で起きる夢物語に過ぎません。

「波動が高い低い」というのも、まだ科学的には解明されていない素粒子の周波数の話であり、目に見えない領域のメカニズムとしては確かに機能している様ですが、しかしノンデュアリティの視座で話をすれば、それすらも全自動で起きている意味のないことなのです。

つまり、ノンデュアリティは、中途半端にスピかぶれした人たちの夢や希望を破壊します。

おそらく、ノンデュアリティに対して最も嫌悪感を持つ人たちは、いわゆる「引き寄せの法則」を真面目に信じようとしている人たちなのでしょう。

ただ、ここでポイントとなるのは・・・

「引き寄せを信じようとしている人たち」が、ノンデュアリティに嫌悪感を感じるのであり、「引き寄せをちゃんと理解している人たち」は、ノンデュアリティもちゃんと理解しています(笑)

引き寄せの法則では、引き寄せる「私」が前提にあり、「私」が人生のコントロール権を持っているという仮定のロジックが語られます。

しかしそれは、「私がいる」という認知エラーの上に成り立つロジックであり、そもそも私も貴方も世界も幻想であるので、ノンデュアリティと引き寄せの法則は非常に相性が悪いのは当然なのです(笑)

「自分で人生をつくりたい!」「望んだ未来を引き寄せたい!」と願う人たちからすれば、ノンデュアリティは、そんな人たちの夢や希望を全て粉砕することになります。

だから、引き寄せを中途半端に信じようとしている人たちや、スピリチュアリティを願望実現のための秘技か何かだと勘違いしている人たちにとっては、ノンデュアリティはとても冷徹に見えるのです。

目覚めとは、貴方という幻想から目覚めること

目覚め、というワードはスピの界隈でもよく語られます。

しかしながら、目覚めや悟りというワードも、スピ界隈では「途中段階までの理解」でしか語られていないということが、すこし考えればすぐに解ります。

そもそも、二元的に世界を解釈してしまう思考という脳の中の牢獄は、それ自体が苦悩を生み出す根源であり、ノンデュアリティはこうした二元性の幻想から目覚めることを説いています。

ノンデュアリティのメッセージは、古くはインド哲学のアドヴェイタや、仏教で語られていることと同じでです。

二元性自体が思考の生み出す錯覚であるということは、主体と客体に分かれて認識される認知構造自体が錯覚であるということです。

よって、ほとんどの方は世界をあるがままに見ることができておらず、主体と客体という二元性、善悪という二元論、美醜という二元論、優劣という二元論をベースに、自分で仮想世界を作って生きています。

本当の世界は二元ではありません(非二元)

動物や、まだ自我が芽生える以前の子供たちは、非二元(ノンデュアリティ)なのです。

そこから人間は自我を獲得し、自我を成熟させます。

成熟した自我は、落ちる時もスムーズです。

これが、目覚めです。

ただ存在するという神秘性のみが事実

つまり、人間は目覚めるために眠りにつくという、非常に馬鹿馬鹿しいことをやっているわけです(笑)

よって、目覚めとか悟りとは、ちまたのスピで言われる様に、何かを獲得することでもなければ、自身が成長することでもありません。

それはむしろ逆であり、自我を落とし、今まで感じてきた二元的な理解や解釈など、認知の誤りに気づくことが目覚めです。

認知の誤りに全て気付いた時、私と貴方という二元性は消滅します。

私と世界という二元性が誤りだったということにも気づきます。

すべてが自分であり、すべてが世界。

すべてが同じだということは、主体と客体が存在しないということであり、二元性の消滅は、貴方と世界の消滅です。

しかし、ちゃんとそれを認識しています。

意識は存在します。

それは貴方という自己性ではなく、単に意識なのです。

つまり目覚めとは、貴方という自己性からの目覚めであり、貴方という自我からの解放なのです。

解放が起きると、貴方は貴方という牢獄から自由になる体感を得ることになります。

思考が常に動いている状態が苦悩でしかなかったのだ!ということに気づけます。

だから仏教では「一切皆苦」と説き、自我と共に生きている以上、人生は苦悩でしかないと解くわけです。

思考とは、それ自体が牢獄だったのです。

本当は何事にも縛られておらず、あらゆる制約や呪縛は、すべて自分の思考で生み出していた自作自演だと気づけます。

ここに一度気づいてしまったら、もう二度と、引き寄せの法則や願望実現に取り組もうなどと思わなくなります。

何故なら、そういった二元性も夢物語の錯覚でしかないと解るからです。

そんなことをしなくても、絶対的に揺るがない「在る」という感覚は、消えることもなければ傷つくこともないのです。

これこそが、人類が探し求めている神秘性そのものです。

神様は、神社や教会にいるのではありません。

あらゆる宗教も、本当はこのことを説いているのだという理解ができるようになります。

続く・・・

類似投稿

6件のコメント

  1. 絶対に揺るがない「在る」という感覚というものは、ケンウィルバーの最上の発達段階、或いは、Taoの玄之又玄で感じるものでしょうか?

    1. 瞑想したり、注意深く内観したりすれば、すぐに気付けることだと思いますよ👀🌟
      発達段階 = 覚醒を含む自我の成長段階
      TAO = 意識の状態
      少し違います👀

  2. ケンウィルバーの発達段階は自我からの解放に至ることはないということですか?

    1. 発達段階は、自我の虚構を見抜いている状態➕自我の成長段階ですね👀
      よって、解放が起きた後の話が、インテグラル理論やスパイラルダイナミクス理論だと言えます
      発達段階は十牛図と違い、自我の解放のプロセスではありません

  3. 丁度非二元を受け入れた自分と拒んでいる自分がいる感覚に包まれていました

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です