なぜ日本はスピリチュアリティとノンデュアリティが別物として扱われるのか?〜日本の特殊なスピ事情と非二元のお話〜

今日のブログのイメージイラストは、左から、OSHO、クリシュナムルティ、ラメッシ・バルセカール、アラン・ワッツ、ケン・ウィルバー、エックハルトトールを、GPTに描いてもらいました(笑

ところで、最近は日本でもノンデュアリティの視点で精神世界の発信をする方が随分と増えてきたと感じます。

まさに「目覚めの世紀」とスピ界隈でも言われる様に、それだけ見性体験をする方が増えてきたのでしょう。

とわ言いつつも、私自身がノンデュアリティに寄せた発信をするようになったのはまだ数年前であり、探求を始めた初期の頃は「引き寄せの法則」などの二元的な理解のスピリチュアルの話をよくしていたものです。

当時は私自身の理解が浅く、その程度の発信しか出来なかったからなんですけどね(笑

しかし、探求を進めるにあたり気づいたちょっとした違和感、それがノンデュアリティ系のメッセンジャーの方の多くが、「自分はスピリチュアルとは違う!」と意志表示をされる方が多い点です。

今日は少しマニアックなお話になりますが、スピと非二元、何がどう違うのか?というお話です。

日本の特殊なスピ事情が非二元-ノンデュアリティを受け入れない

こんな事を言うと少し誤解が生まれますが・・・

日本人は元々がスピリチュアルな方が多い民族だと言えます。

これは俗世で言われている日ユ同祖論とか、縄文的なYAP遺伝子が関係しているとか、そういった話ではありません。

進化心理学的に考えれば、日本は世界的に稀に見る多民族国家であることは既に解っています。

この話はDNA的な事情ではなく、土地的な視点からそう言えるのです。

多民族国家である特殊な日本の環境は、自然をたたえるアミニズム的な宗教観をベースとした古神道に始まり、仏教や、キリスト教などの一神教、近代になってから再編成された国家神道など、これら信仰と深く関係している天皇制が、何の違和感もなく1億人以上の人間に受け入れらています。

まさに「和をもって尊しとなす」を、国民全体が自然に振る舞えているのでしょう。

そんな信仰心熱い日本人は、神様や聖霊の仕業と解釈出来るような目に見えないエネルギーや超常現象も、すんなりと受け入れています。

今のような平和な社会とは違い、環境的に厳しい状況にあった江戸時代以前の日本は、大衆が祈願やご利益などの「我欲を満たしてくれるであろう行為の効果」を、かなり信じていました。(今も信じていますが)

こういった事を信じているということは、同時に、反対側のベクトルに相当する「呪い」「悪霊」「霊障」「罰が当たる」等の現象も信じているということになります。

この様な迷信を信じることは、目に見えないスピリチュアルな世界知るヒントにもなるのですが、同時にこういった二元論的なマインドは自我を肥大化させ、スピリチュアリティのメッセージから離れる作用も含んでいます。

信仰心が熱いばかりに、目に見えない世界を信じやすい日本人は、霊能ビジネス、霊感商法の格好のターゲットにもなりやすいと言えます。

何しろ、最初から神社(神道)も仏教(寺)も大好きな日本人なので、オカルトめいた儀式的なことも簡単に信じてしまうのです。

その結果として日本では、「スピリチュアルとは、自分の我欲を叶えてくれる目に見えない何か?」と、盛大に誤解されることになりました(笑

では、一般的にノンデュアリティと言われている界隈から、こういった状況を見るとどうなるか?

「そんな夢物語から早く目覚めなさい(笑)」

というのが、ノンデュアリティから見る、二元的に誤解されているスピリチュアルに対するメッセージなのです。

仏教もノンデュアリティも夢物語からの目覚めを説いている

荘子は「胡蝶の夢」という逸話で、現実が仮想現実であることを示しました。

私たち人間の思考システムは事実をありのままに捉える事が出来なくなっており、一人一人が自己解釈した仮想空間に閉じ込められて生きているのだと言えます。

つまり、現実とは夢物語なのです。

一般的に言われているスピリチュアルとは、「開運」や「祈願」や「魔除け」や「お祓い」と言った、自分に都合の良い物を取り入れて、都合の悪いものを排除しようとする二元論的な行為として誤解されています。

もちろん、そういった発信をされている霊能者や宗教関係者の方に悪意などありません。

むしろ、善意で「人を救いたい」と願ってやっている方がほとんどであり、明確な悪意を持って霊感商法の類を行う者なんて殆ど居ないのではないか?と、私は思います。

カルト宗教の教祖になるような人も同じであり、本人に悪意などなく、彼らは彼らでそれが良いことであると信じ切って活動しています。

しかし本来は、仏教にしてもキリスト教にしても、その様なエゴにまみれたマインドの愚かさに気づくことや、自我を肥大化させてしまう思考の罠からの解放を説いているのです。

スピリチュアリティのメッセージも本来は同じであり、人間が抱えている思考システムからの解脱(げだつ)を説いています。

例えば、思考システムの中で見ている錯覚や妄想を、自分にとって都合が良い錯覚や妄想として「解釈を上書きする」と言った方向性で語っているのが、引き寄せの法則やタフティ等のメッセージだと言えます。

どうせ仮想現実の中で眠っているなら、良い夢を見続けて、事実なんて知らないほうが良いじゃん!というノリが、引き寄せの法則なのです。

しかしながら、引き寄せの法則の視座で話をするにしても、どのみち「これが仮想現実だ」ということを見抜けなけなれば(目覚めていなければ)、引き寄せの法則を理解することは出来ないんですけどね(笑

そもそも、私も貴方も概念の産物であり事実は存在していないと言うのに、存在していない人間が存在していない現象を、一体どうやって引き寄せるのだ?という話になります(笑

日本人は信仰心が熱く、ご祈願や魔除けを信じるがために、それ自体が夢だとバッサリ両断されることを受け入れられないのです。

しかしながら、日本の市場ではこう言ったオカルト行為が、スピリチュアルだと誤認されています。

だから、日本でノンデュアリティの発信を行う方は、スピリチュアリティの皮を被ったオカルトと、自身の主張が同一視されない様に、「ノンデュアリティとスピリチュアルは違う!」と、明確な線を引く傾向にあるのでしょう。

海外のスピリチュアル事情

では海外はどうか?というと、これはあくまでも私が調べた情報の話でしかありませんが・・

まずアメリカの場合は、ノンデュアリティとスピリチュアリティーは、明確に区別されていないように思えます。

その分、アメリカでは「サイキック」などの超能力がテレビやネットでエンターテイメント化されている事が多い様に感じます。

これは大きな市場であり、「目に見えない力を手に入れて他人や状況をコントロールしたい!」という欲求を満たしたい個人主義的な国民性の方々に対して、「夢」を見せる大きなビジネスになっている様です。

反面、サイキックや霊力を健全に使っている方は、「ヒプノセラピスト」や「ヒーラー」として社会的にも地位を獲得し、こうした目に見えないエネルギーを扱う方の施術は、医療行為として認められている点は、日本も見習いたい部分です。

日本では、気功やエネルギー療法は、未だに社会的に認知されていないですもんね。

これは、アメリカの医療費が馬鹿みたいに高額であることが理由である反面、日本の医療制度がちゃんと整っている状況の裏返しでもあります。

日本では、体の調子が悪くなっても3割負担の病院に行けば良いだけであり、保険が使えないサイキックに頼る必要はありません。

しかしアメリカでは、体の調子が悪くなって病院に行くとすぐに数百万円が吹っ飛ぶので、サイキックに頼るわけです。

ヨーロッパ諸国では、法律によってカルト宗教を厳しく規制している国が多いようですが、日本はその点のチェックが甘く、カルト宗教は野放しになりがちです。

韓国は更にひどい状況で、教祖が犯罪を犯して逮捕されるようなカルト宗教でも、依然として力を持ち続けている状況になりやすい様です。

こんな社会的な背景もあり、日本では「夢から目覚めよ!」と説くノンデュアリティは受け入れられにくいのですが、アメリカでは、サイキックや霊力者が社会的地位を得やすい状況にあることと、個人主義的な国民性が相まって、ノンデュアリティという「悟り系のスピリチュアリティ」も割と受け入れやすい様です。

その証拠に、アメリカではジム・キャリーのような有名人が、平気で自分の覚醒体験を語っています。

彼の話はエックハルト・トールと同じ視座で語られており、ジャンル分けするならノンデュアリティ寄りになるでしょう。

日本で、この様な語り口でメッセージを伝えて、YOUTUBEで何十万回と再生されるほどの影響力を持つ有名人は、藤井風君くらいしか思い当たりません(笑

その理由も色々考えられますが、日本においては仏教という組織形態が「悟り」というものを語ってはいけない空気感を作っている事が大きい様にも思えます。

悟る人は存在しない

一部のスピリチュアル系メッセンジャーは、一瞥体験や見性体験をさも特別な体験をした様に熱く語り過ぎる事が多いためか、悟りが一部の選ばれた人間しか達成できない様な特別なことの様に誤解されています。

そもそも、自分も世界も幻想だと解るのに、一体誰が悟りを獲得できるのでしょう?(笑

誤解を恐れず言うと、悟った特別な人や、目覚めた人なんて存在しません。

悟りという状態があるだけです。

さらには、日本の場合はどうしても神道と仏教が生活に染み込んでいるので、逆に、覚醒(state)の段階が非二元まで至りにくい様にも感じます。

自分の外側に神や仏を絶対的に置いているので、自分が神だと認められないのです。

私の感覚では、非二元−ノンデュアリティも、本来的なスピリチュアリティに含まれると解釈しています。

ノンデュアリティはさして特別な話ではなく、古来インド哲学でアドヴェイタ(不二一元論)として、2500年以上前のお釈迦さまの以前から語られていた叡智です。

もちろん、多くのスピ系の方が大好きな、プレアデス星人やレプタリアンといった話も私自身も割と好きだったりしますが、しかしこうした話題はスピリチュアリティではなく、私からすればオカルト話なのです(笑

本来スピリチュアリティとは、そういった夢物語の話ではありません。

そもそも私たちが見ている世界そのものが夢であるので、その夢から目覚めましょう!というのが、仏教だけでなく、キリスト教でも言われている本来的なスピリチュアリティの解放メッセージなのだと言えます。

続く・・・

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