境界線は存在しない〜全てがひとつである理由〜
ニュートン力学、アインシュタイン相対性理論、量子論、多次元宇宙論、膜理論、超ひも理論・・・
科学は目まぐるしく発展をしてきていますが、アインシュタインの相対性理論が一般に流行り出した頃から、物理と仏教などの東洋的哲学の共通点に気づく方が増えてきた様です。
その結果、科学的なアプローチからの手助けもあり、近年多くの方に広まってきた認識があります。
それが、「本当は境界線は存在しない」と言った、仏教やスピリチュアリティで以前から語られているワンネスや非二元の感覚です。
名前を付ける事で存在が分離し、事象が相対化する

生まれたばかりの赤ちゃんは自我がありません。
自我が無いということは、思考による相対的理解(二元性)が無いということであり、自分と相手、自分と世界、といった区別による相対認知をまだ獲得出来ていない状態です。
自我が芽生えた赤ちゃんが、最初に二元的な相対感覚を手に入れるのは、自分の名前を母親から呼ばれた瞬間です。
赤ちゃんは、「○○ちゃ〜〜ん」と母親から何度も名前を呼ばれることによって、だんだんと自我が芽生えてきて、ある時「あっ!自分は○○という名前なんだ」と、自己感覚を発動させます。
これがスピでいう分離の始まりであり、「自分は○○という名前の存在なんだ!」と、自己認識が発生した瞬間、自分という「主体」に対応する、相手や世界という「客体」が発生します。
自我に芽生えた子供は好奇心の塊で、「あれは何?」「これは何?」と親を質問攻めにして、目の前に広がる事象に対して「名前や役割」を知りたがります。
事象に対して名前を付けるということは、精神世界の界隈で語られる「ラベリング」や「レッテル貼り」であり、この一連の作業が、一人一宇宙の仮想空間を脳内に形成していくプロセスになるのです。
この様に、自分(主体)に相対する何か(客体)をラベリングし続けることによって分別が発生し、子供は社会的な人間へと成長していきます。
しかし、こういった認知のメカニズムについては、ほとんど方は無頓着です。
この無頓着な状況に対して、仏教は「分別(相対的ラベリングをしている状態)」は苦悩の根源でもあるので、この仕組みを見抜いて「無分別(ラベリングをしない境地)」を思い出していきましょう!なんてメッセージを語っているわけです。
人間は個人的に解釈した世界しか認知する事が出来ない

例えば、石器時代の人たちの前に、現代人が宇宙服を着て現れたとしたら・・・彼らはそれを見て「自分たちと同じ人間が宇宙服を着ている」と理解できるでしょうか?
おそらく、宇宙服と一体になった人間の様で人間では無い「よく解らないもの」と理解をし、恐怖することでしょう。
次は、テーブルの上に食器を並べて、彼らを豪華なディナーに招待してみましょう。
すると彼らはおそらく、食器、食材、テーブル、ナイフ、フォーク、と一つ一つの物が何なのか?を理解することは出来ません。
もしかしたら、テーブルと食器が別の物体だということを理解できないかも知れず、テーブルに食器がくっついた「ひとつの何か」として認知するかもしれません。
では、江戸時代の人に大画面テレビを見せたらどうなるでしょう?
彼らはそれが、RGBという光の三原則を利用して映像を映し出す装置であることを理解できないはずであり、画面の中に向かって飛び込もうとするかも知れません。
つまり、私たちが認知できることというのは、すなわち「自分が知っていること」なのです。
「知っている」とは、自身の解釈の範疇で名前をつけてラベリングをし、機能や役割を付与している事象のことです。
初めて日本に黒船が現れた時、多くの人は、それが「大きな黒い船だ」と理解できなかったそうです。
何故か?と言うと、当時の日本人は、今までにそんなに大きな船を見た事がなく、自身の中に大きな船を解釈する思考回路が存在しなかったからです。
こういった事からも解る様に、私たちが見ている世界とは、事象に対して名前をつけて、各々の解釈によるレッテル貼りをした「結果の世界」しか見る事が出来ないのです。
ということは、本来の事象には名前付けやラベリングや、役割の付与が存在していないという事です。
つまり、起きる事象には、本当は何の意味も目的も存在しないのです。
このことからも、スピで言われる前世の宿命というメッセージが、精神発達の段階に合わせた優しい方便だという事が理解できます。
境界線は後付けの概念であり、本来は存在していない

近年は電子顕微鏡の進化によって、物質の正体が分子構造である事、原子である事、電子などの素粒子であること、そういった素粒子と原子核の間は、スケール比で言うと山手線の外周に置かれたビー玉くらいの大きさしかなく、その他99.9999%はエネルギーである事・・・
こんな事が多くの方に知られる様になってきました。
私たちが物に触って「触った!」という感覚を得られているのも、実際には触っておらず、原子核の周りを超高速運動する素粒子がお互いに反発しているために、「触った!」という感覚が発生しているだけです。
この様にミクロの単位で宇宙を考えると分かりやすいと思いますが、物質には境界線は存在していないと言えます。
人間の体は、その1/3が腸内細菌だと言われていますが、では、その細菌たちはその人なのでしょうか?それとも別物なのでしょうか?
髪の毛が頭皮にくっ付いている状態は髪の毛もその人に含まれますが、抜け落ちた瞬間にその人ではなくなるのもオカシナ話です。
何故なら、髪の毛は抜け落ちる前から、毛根細胞や皮膚細胞、毛の細胞と、役割が分かれているからです。
貴方が水を一杯飲んだら、その水は胃の中で吸収されて体内に溶け込んでいきますが、では、水はいつから貴方になるのでしょうか?
口に含んだ瞬間?胃に入った瞬間?胃が吸収した瞬間?
こうして考えていくと、物質には最初から境界線など存在しないという事に気づけるはずです。
意識に境界線は存在しない
そして、物質だけではありません。
ここからはまだ現代科学では未解明な部分になるのですが、おそらく意識もエネルギーであり、それ自体も境界線はなく、物質次元の影響を受けないだろうと言う予想です。
これは、古代インド哲学やプラトン哲学などでも言われていることであり、将来的に科学はこの答え合わせをしてくれるのでしょう。
私自身も境界線が存在しないことは体感的に感じていて、かなり若い頃の話ですが、ある日寝ている時に自分の境目が無くなっていき、体がベッドと一体化してしまう様な不思議な感覚になったことが何度かあります(笑
今となってはもう時効なのですが、今から30年ほど前に、友人たちと少し変わったタバコや珍しいキノコを食べて楽しんでいた時、友人の一人が「俺は宇宙だ〜!」と叫んでいたのを見て皆んなで笑っていまいた(笑
思えばあの頃は、皆んなで毎週ワンネス体験をしていたのかも知れません(笑
そう言った体験を私自身は特に神秘的な事だとも思いませんが、もしこの様な体験を合法的に安全にしたいのであれば、アイソレーションタンクに入ってみるのが良いかも知れません。
境界線が存在しない、時間が幻想であること、きっと体感的に感じ取れると思います。

アイソレーション・タンク(フローティング・タンク)とは、音・光・重力を遮断し、高濃度のエプソムソルト(硫酸マグネシウム)塩水に浮かぶことで、究極の感覚遮断と深い瞑想・リラックス状態を体験できる装置。
1954年にジョン・C・リリーが考案し、ストレス解消、脳の疲労回復、メンタルケア、筋肉の緊張緩和に効果があるとして、アスリートやセレブにも利用されています。
こちらは参考書籍です。

少し古い本ですが、若かりし頃のケン・ウィルバーが、まだインテグラル理論を発明する前のトランスパーソナル心理学をメインに発信していた頃の作品。ノンデュアリティの視点から目覚めとは?悟りとは?を語った本です。
文章がとても文学的であり、詩的に情緒に訴えかける独特の言い回しが魅力的な一冊かと思います。
続く・・・
大学で物理を学んだ(とはいえ遊び呆けることが多く、多分浅くしか理解していないw)自分の考えを述べると、電子を2重スリッド(2本の縦穴が開いた板)に発射すると、スリッド先のスクリーンに、2本の縦線ではなく縞模様ができるという実験があるのですが、この結果から、電子は粒子ではなく波の性質を持つということが考えられるんですよね。また、量子力学に「粒子の存在確率」という言葉が出てくるのですが、「存在確率」と言ってる時点で粒子には実態が無いということになると思います。そう考えると、この世界の物質の本質は波であり実体が無く、すなわち境界は存在しないんだろうなぁと思います。あくまで我々が生きているスケールでは物質に境界があるように感じるだけで。難しかったらすみません。
ありがとうくまいます🐻(●´ω`●)ノ
二重スリット実験についてはこちらの記事で引用しています
https://norisanlab.com/krishnamurti/
このブログの二重スリットのイラストは私が8年くらい前に描いて過去ブログで掲載していた図ですが、結構皆さんネットで引用してくださっているようで嬉しいです(笑
掲載された記事を拝見しました。多分大学で物理を中途半端にかじった私よりもNORIさんの方が量子力学にお詳しいかもしれませんw