すべてが反転している世界〜遠離一切顛倒夢想〜目覚めで認識はひっくり返る!?

最近ネットのスピ界隈では「すべてが逆」と言ったようなワードが流行っているようです。

そういった情報を特に詳しく調べたわけではないですが(笑)

「すべてが逆」とは一体どういうことなのでしょうか?

今日はそんなテーマで、YOUTUBEメンバー動画で話している様なことも少し踏まえながらお話しします。

人間の認知は全てが逆転している

すべてが逆転していると聞いてもなかなかピンとこないかも知れませんが・・・

これまで話してきたように、私たちが個別の自己性を持ち、世界というフィールドの中で生きているという感覚は、これ自体が錯覚であると言えます。

私たちの意識構造をより正確に言語化するならば、おそらく以下のようになります・・・

場に存在する波動エネルギーの共鳴によって、思考や感情の材料になるようなものが生成され、そのプロセスにおいて、3次元領域では思考+感情を処理するための時間概念が発生し、肉体と五感センサーによって、肉体精神機構が形成されます。

この処理プロセスが、「私」が地球上に存在し、「私」が思考や感情を持ち抱えている、という錯覚を生み出します。

「私」が持ち抱えていると錯覚する思考や感情は、その人固有の肉体精神機構の特性や性能に依存しますので、発現した自己感覚が見る世界は「一人一宇宙」であると言え、各々の自己感覚がそれぞれまったく違った宇宙を脳内で創造しています。

こうしてテキスト化すると、なんだか余計ややこしくなってしまいましたが(笑

簡単に言うと、宇宙は貴方の外にあるのではなく、貴方の内面が宇宙そのものなのです。

遠離一切顛倒夢想

般若心経では「遠離一切顛倒夢想」という言葉があります。

貴方は事実から遠く離れてしまっているがために、すべての現象は想像上の夢物語であることに気づいていません。貴方は夢から目覚めることによって、すべてが反転している事実を知ることが出来るでしょう。

遠離一切顛倒夢想を解説すると、こんな感じになると言えます。

私たち人間が抱える最大の認知エラーは、自分が自分の意志で選択や行動をしているという錯覚にあります。

この自己感覚は、後付けで脳が演算した「私」という感覚でしかありません。

そもそも私も貴方も本当は概念上の産物でしかなく、事実、存在していません。

ここが見抜けると全てが反転していることに気づけます。

私はいない = 主体(主語)が無いので、当然私たちには一切のコントロール権がない(自由意志がない)ということになります。

主体が幻想である以上、相対的な客体も同様に幻想です。

これは思考ではなかなか理解ができない領域の話になりますが、私たちの思考は全てが相対的に分離するようになっています。

認知とはその様な仕組みの上に成り立ちます。

認識するものを認識することが出来ない

思考が必ず相対的になるメカニズムをもう少し説明します。

古代インドのウパニシャッド哲学のヤージュニアヴァルキアは、「認識するものを認識することが出来ない」というメッセージを残しています。

例えば、カメラはカメラ自身を撮影することが出来ない、というのはご理解いただけると思います。

同様に、貴方の目玉は、貴方の目玉そのものを見ることは出来ません。

つまり、「認識」が発生している時点で、その上位次元には「認識者」がいるわけです。

これが、スピリチュアルでよく言われる意識の次元構造を理解するヒントとなり、意識が多層構造になっているというメッセージです。

私たちが何かを認識しているということは、既にその時点で「認識されるもの」と「認識するもの」の重層構造に意識が分かれています。

私たちが普段、自分の意志で何かを考えたり、自分で選択をしたりしているという思考の感覚は、実は、認識されるものの認知領域に限定されています。

つまり本人は、自分で考え自分で選択していると錯覚していますが、貴方自身をコントロールしているのは上位次元に在る認識者であり、それをスピではハイヤーセルフ(高次の自分)なんて呼んだりします。

認識されるものを認識してるものは、その上位存在であるので、コントロール権を持っているのは上位存在ということになります。

しかし次元の構造上、こういったマトリョーシカの様な重層構造は永遠に存在する(次元は無限次元存在する)と言えるので、どこまで行っても、本当の貴方は存在しないと言うことになります。

これが仏教で言う「諸法無我」というメッセージの意味です。

反転した世界でどう生きればいい?

さて、認識が反転していると言うことが解ったら、私たちはどう生きればいいのでしょうか?

その答えが「サレンダー」なのです。

簡単に言うならば・・・

諦めてください(笑

私たちというワンネス意識が全体性そのものであることに気づき、全てを宇宙に委ねる。

起きることに一喜一憂しないと言う態度で日々を過ごす。

現象を信頼し、その根源が絶対的な神の摂理によって動いていることを認める。

自分に何一つコントロール権がないことを認めることは、人によっては抵抗があるかもしれません。

特に、これまで自分の努力で何でも達成してきたという自負がある方にとっては、信じたくない話でしょう。

しかし、そんな方に私はあえて言います。

これまでの人生で、あなた自身があなたの努力の成果であったり、あなた自身が持ち合わせた知性によって、何かを達成したことは一度たりともありません。

行為者は最初から存在していません。

コントロール権を持った「私」という存在がリアルだと錯覚していたのです。

こんなことに気づくのが、遠離一切顛倒夢想です。

これは逆に言えば、私たちに一切の努力は必要ないと言うことが解る最大の気づきでもあり恩寵です。

本当は、何をするにも一切の努力は必要ないのです。

キリスト教では、この気づきを「神からの愛」と表現したり、「赦し」と表現したりします。

起きることすべてが宇宙に赦されているからこそ、世界はすでに完璧なのだと解ります。

だから、本当は何も心配いらないし、大安心の境地でどんと構えて生きていればそれでOKなのです。

人生に間違いは起きません。

すべて完全な調和の宇宙システムの元、私たちは完結済みの宇宙を時空間という幻想世界にて、ただ体験するだけです。

だからこそ、私たちは本来は何をしてもよく、完全な自由なのです。

続く・・・

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