なぜ移民や外国人の犯罪を許せないのか?〜日本人というアイデンティティと洗脳教育〜

ネットニュースを見ていると、移民や外国人が日本で起こした犯罪によって日本人が被害を被むる事件について、激しく怒っている人をよく見ます。

もちろん、ほとんど人が犯罪者に対して厳しい目を向けるのは当然であり、何らかの法的罰を受けるのは義務だと考えることでしょうし、私自身もそう考えています。

この様な状況に対して怒りたくなるのは私自身も同じであり、気持は良く解ります。

しかし今日はあえて「なぜそうなのか?」を構造的に分析して語りたいと思います。

国民というアイデンティティにしがみつく理由

これは意図的な情報操作の影響もありますが、近年は「外国人を許さない」という風潮が、益々加速するような情報過多の状態になっております。

私が見る限り、彼らのようなタイプの人間は、同じ日本人の犯罪やミスには割と寛容です。

しかし、外国人や移民の犯罪やミスに対しては、わざわざ「拡散希望」とタグまでつけて、SNSで何度も投稿しているアカウントを複数見つけることが出来ます。

では彼らは、日本人が殺されるような事件が起きたら、被害者の家を一人一人訪問して、墓参りにも行っているのでしょうか?

日本人という集団的アイデンティティをSNSで拡散するほど愛しているということは、そういうことではないのでしょうか?

もしそうでないのだとしたら、一体彼らは日本人というアイデンティティを、何故それほどまで強固に守ろうとしているのでしょうか?

お隣の大国を必要以上に毛嫌いする人たち。

お隣の南北半島の国民に憎悪を向ける人たち。

彼らの正体は何か?というと、自分が何者にもなれなかったこと、何者でもないことを認めたくない絶望感が、外側に向けられている現象だと私は分析します。

多くの人は洗脳教育によって「何者かにならなければならない」と教えられてきています。

そのため、学校では成績を上げること、良い会社に就職すること、沢山のお金を稼ぐことを求められ、それを達成できない人間には価値がないという刷り込み教育を受けています。

そして、こういった昭和の価値観を助長するように、スピリチュアルや自己啓発の界隈でも、「何者かになれる方法」を教えている人たちもいます。

しかしながら、普段からお伝えしているように、人間は皆違った個性はあれど、それは優劣ではなく単に個性であり、特にこれからの時代は、個性と社会のマッチングを如何にして探すか?という時代だと言えます。

これが、私が普段からお伝えしている「自分の生き方の正解を自分で決める」というマインドセットです。

自分以外の誰かになることはできない

本来、私たちは何者でもありませんし、何者かになる必要もありません。

というよりも、私たちが目指す「何者か」という偶像は、大谷翔平のようなスポーツ選手であったり、経済的成功を果たしている経営者であったり、近所に住んでいる金持ち旦那と結婚して幸せそうな奥さんであったり、同じ会社にいる自分より仕事ができないのに皆んなに愛されている後輩であったり・・・

つまり、私たちがなりたがる「何者か」というのは、貴方以外の誰かという偶像なのです。

しかしながら、貴方は貴方の生まれ持った気質がありますし、身体的特徴や知能についても、後天的には変更不可能です。

よって、貴方は自分以外の誰かになることは不可能です。

だから貴方は、自分以外の誰かになろうとする事を、辞めたほうがよいのです。

そもそも原理的に何者かにはなれないので、何者かになる事を目指すことで「何者にもなれない」という苦悩が発生します(笑

貴方は貴方のままで、もう十分です。

そして、本来何者にもなれない全ての分離した個別自我意識が、最後の砦として、何者かになろうとするのが、「自分は日本人だ」という全体主義にも似た集団的アイデンティティです。

自分は日本人だから、中国人より優れているはずだ。

自分が日本人だから、韓国人より優れているはずだ。

こう思おうとすることで、なんとか自己性を保とうとする。

その最たる顕在化が、ネットでよく見る外国人を必要以上に叩く人たちだと言えます。

為政者やマスメディアによって、中国や韓国を嫌いになるような思考操作を受けていることにも気づかずに・・・です。

これは非常に根深い洗脳であり、彼らはむしろ被害者だと言えます。

こんな事は昔からよくある洗脳手法であり、国は戦争をやりたいがために「アメリカ人」というアイデンティティで国民を団結させ、ベトナムだけでなく、中東にも戦争を仕掛けてきました。

そして日本も同じ洗脳手法によって、見事、戦争体験をすることになったわけです。

何者でもないから、何者にもなれる

生まれ持った気質や身体的特徴、生まれた場所、一切変更不可能です。

しかし、後天的に変えられることが一つだけあります。

それが「心」です。

心とは解釈です。

意味のない世界に意味を付ける、仮想現実創造装置が、心です。

つまり、貴方に認識された世界とは、そのまま貴方の心の投影なのです。

生まれ持った気質や身体的特徴や、生まれた場所や家柄は変わりません。

しかし、そのような条件を定義しているのも、実は貴方の心です。

だから、私たち人間は、本当は誰もが心のままに生きており、思ったままの貴方という偶像を生きているわけです。

これがスピリチュアリティでもよく語られる「貴方は当初より、貴方の思ったとおりに生きている」というメッセージに繋がります。

例えば、世界平和を望むのであれば、世界に向かって働きかける必要などありません。

貴方が、たった一人で平和に生きれば良いのです。

それで世界平和は完成します。

地球天国と二極化

優しい世界で生きたいななら、貴方が優しい心で生きるだけです。

地球を天国にしたいなら、貴方が天国にいるかのように生きることです。

そしてこの仕組みに気づいた人を、スピリチュアル界隈では「アセンションとした人」と呼んでいます。

二極化、なんて言葉が各界隈から聞こえてきますが、これは簡単に言うと、「恐れで生きることを選んだのか?」それとも「愛に生きることを選んだのか?」

この2つの二極化だと言えます。

これでもまだ何者かになろうとして、日本人という最後のアイデンティティにしがみつき、無理やり自分を保とうとするのか?

こんな話を聴いても、まだSNSで誰かを糾弾するのか?

戦争の映像ばかり観て不安になることを選ぶのか?

人生とは、心の投影でありすべてが自作自演です。

あとは、この原理に気づけば次元上昇。

さて、このブログには少々刺激的なタイトルを付けておいたので、文章を読まずにタイトルだけ観て批判をしてくる人が出てくることも今から予言しておきます(笑

なにしろ、日本人も含む先進国の大多数の人間は、文章を読めないそうですから♫

こちらは私もおすすめ、橘玲さんの本。

続く・・・

類似投稿

2件のコメント

  1. あらら先ほど次のブログのコメント欄に書いたことがここでも、通用するかもです。
    国民主義とか全体主義とか言うと戦前(第2次)のことを思い馳せます。私も昭和の戦後生まれなので自分の体験としては知りませんが、当時は酷かったようですね。
    何者かになろうとする気持ちというのには考え及びませんでした。前にも何度かコメントに書きましたが、私は大学卒業後直ぐ渡米してそのままこちらに住み着いてしまいました。「日本人」であるということは日本にいるときより身にしみることもありましたが、外から見ることのできる特権のようなものを感じてしまいます。
    話題にされているような人たちはどの国にもいると思いますが、私なんかはどこに行っても嫌われるなんだろうなって思ってしまいます。まっ、それが自分で選んだ道なんですけど、、、
    そうそう、こんなこと書いても誰も読まないらしいですよね。笑

    1. アイデンティティが全て思考の生み出した自作自演の幻想であるのに、アイデンティティを持たないと生きていけない。という錯覚から抜け出せない巧妙な仕組みが自我なのです👀
      だから、自我に巻き込まれている人ほど、何らかのアイデンティティを強く求めますね⭐️(●´ω`●)ノ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です