ノンデュアリティは、知る準備が出来た時にのみ伝わる様になっている

今日のタイトル、これは誰が言っていたのかは忘れましたが、たしか海外のノンデュアリティ系のメッセンジャーがこんな事を話していたのを思い出しました。

ノンデュアリティのメッセージは準備が出来た時にのみ伝わる様になっていると言え、まだ準備が出来ていない人には、否定的に聞こえるか?もしくは何を言っているのかさっぱり解らない様に聞こえるみたいです(笑

探求しても貴方は何も獲得できません

スピリチュアルな界隈でも「目覚め」や「覚醒」という言葉はよく使われます。

多くの場合で覚醒とは、何らかの新たな力や、新たな超感覚を獲得する事だと考えられています。

たとえば、テレパス能力であったり、予知能力であったり、千里眼であったり、健康な体であったり・・・覚醒によってこうしたものが手に入ると考えている方は多いと思いますが、これらは間違いです。

結果的に何か新しい感覚が手に入ったように思えてしまう場合も多いのですが、しかし本当は、覚醒によって超感覚が獲得できるわけでもなければ、魂のレベルが上がるわけでもないのです。

覚醒とは色眼鏡を外す様なものであり、今まで歪んでいた認識の歪みが消えて、クリアな認識になるだけの話です。

子供の頃の感覚に戻ると言えば伝わりやすいかと思いますが、誰もが子供の頃はピュアであり、不要なラベリングや条件付けを行っていません。

自我が芽生える以前の子供に至っては、そもそもラベリングがありません。

これは動物も同じであり、彼らはジャッジも行いません。

そして、この意識状態が人間の素の状態であり、まずは「この状態が素だったのだ!」と、気づくことが大事なのです。

よって、もしも貴方に何らかの意識変容や覚醒体験が起きたとしたら、貴方はこれまでの認識において知覚していたあらゆる現実的価値観を失うことになります。

だから覚醒した人は「以前の自分は死んだ」「そもそも自分は存在していなかった」「生まれ変わった」と、言葉で表現するのです。

よって、スピリチュアリティにしてもノンデュアリティにしても、今後探求を進めるにあたって、貴方は何も達成できません。

むしろ、探求によっては何も得られないという事がハッキリと解ります。

つまり、私が悟りを得るということも、貴方が悟りを得るということも、絶対にないのです。

それが無いのだということが解るのです(笑

気づきで解ることは自我の認知エラーです

今後の探求によっていづれ気づくこと、それは単に認知エラーであり、気づく事によって認知システムのエラーに巻き込まれにくくなるだけの話です。

ほとんどの人間は自我というバグに巻き込まれたまま日常を過ごしており、その事にも気づいていません。

映画MATRIXは、このあたりの描写を実に上手く表現しています。

そして、自身の認知エラーを見抜く事によって、世界の見え方が以前とは逆転するわけですが、これを仏教では「遠離一切顛倒夢想」と言います。

貴方は、人生のレールを進んで目的地に向かっているわけではないという事に気づきます。

そもそも時空間が幻想なので、何処かへ向かっているという感覚自体が勘違いだったのです。

というわけで、スピでよく言われている様な「貴方が生まれてきたのには理由がある」「前世からの約束された宿命がある」というメッセージは、優しい方便だということがわかります。

人生に意味はありません。

起きることがただ淡々と起きているだけであり、TAOではこの有り様を・・・

天地は仁ならず、万物をもって芻狗と為す」と表現しています。
(意味)宇宙は自我から見れば冷徹であり、芻狗(すくう=お祭りで使う藁人形)の様にシステマチックにただ淡々と創造されるだけだ。

藤井風くんも歌で歌っている様に「あなたは最初から全てを持っている」のです。

間違っていたのは認識の仕方であり、知覚のバグ「自我」を貴方は発見するのです。

一瞥体験がなくても解ります

よくノンデュアリティ系のメッセンジャーは輝かしい一瞥体験を語り、その体験が=悟りであると誤解されていますが、それは違うと言えます。

もしも、宇宙と同化するような肉体精神機構の体験(ワンネス体験)が欲しければ、ドラッグでもやれば、その可能性は格段に上がります(笑

もう30年くらい前の話になりますが、私も若い頃、自分が溶けてしまい体の境界線が無くなる様な体験をしたことが何度かあります。

2年ほど前には、時空間がすべて偽物だったという感覚が突然やってきたことがあり、その感覚は数日にわけて何回か経験したことがあります。

しかし、そんな体験以前から時間が幻想であると言うことはフツーに理解していました。

そういった体験はあくまでも肉体精神機構の感覚による「体験」でしかなく、凄いことでもないのです。

単に、自我の自己防衛機能が一時的に吹っ飛んだだけです(笑

多くの場合は一瞬、人によっては数分、修行を積んだお坊さんによっては数週間、そういった感覚になる事がある様です。

インドの瞑想指導者であり覚者であるサドグル・ジャッギー・ヴァースデーブは、瞑想中に見性体験が起き、本人はほんの数十分か数時間程度しか時間が経っていないと感じていたそうですが、実際には、座ったまま2週間近く日にちが経過していたそうです。

その時の様子は詳しくは語られていませんでしたが、おそらく座ったままなので、垂れ流しだったのでしょう(笑

そう考えると、見性体験なんて手軽にするもんじゃありません(笑

そして、こういった体験も、その体験が過ぎてしまえば、もうそれは記憶の中の物語になり、逆にその体験の恍惚感に依存してしまい、瞑想中毒になったりする場合もあるのです。

認知エラーが改善されれば見方が変わり、現実が変わります

では、こういった事に気づくと何が良いのか?と言うと、認知のエラーに気づくので、物事を正しく(あるがまま)に見られる確率が上がります。

すると、自分の人生が自身の思い込みの産物であり、すべて自作自演だったと気づけます。

問題は自分で作っていただけで、本当は何も問題なんてなかったのです。

問題だと感じていたのは自分の頭の中の仮想現実ストーリであり、事実としては、何も起きていなかったのだと言うことが解ります。

外側に見える人生というストーリーは、すべて自身で生み出した虚構の時系列の創作物であり、最初から何も意味などなく、自分で意味づけをして一人で大騒ぎしていただけだったのです。

そして次に気づくことは、そんな自分という自己感覚も、本当は幻想だったということです。

この事実に気づくにも、特別な鍛錬や修行も必要ありませんし、不思議な一瞥体験も必要ないと思います。

ただ、最初はどうしても「探求に興味を持つ」という意図だけは必要になりますが、これは十牛図でいうところの「1.尋牛」です。

聖書で言えば「求めよ、さらば与えられん」ですね。

そして、「2.見跡」「3.見牛」と進んでいくと、人によっては意識変容を経験します。

ここまで来ると、もう探求は引き返せません(笑

よって、覚醒体験が起きたり、覚醒までは行かなくとも、小さな気づきが重なるだけで、人生というモノに対する捉え方が変わってきます。

過去や未来に縛られなくなり、今を生きられる時間が増えてきます。

何故かと言うと、最初から私たちは今ココから離れたことなど一度もなかったとハッキリ解るからです。

よって、後悔という概念そのものが無くなります。

未来に対して考えることはあっても、未来の不安に巻き込まれることは、ほぼ無くなります。

自分の人生のはずなのに常に認識視座が上がっていて、自分を見ているもう一人の高次な自分(ハイヤーセルフ)の視座に留まれる時間が増えてきます。

すべてが全体の運動による関連性によって動いていると解るので、そこに努力が必要ないとハッキリと解ります。

いくら予定や仕事が忙しくても、単にやるべきことをやり、淡々と用事をこなす事に何も問題がないと解ります。

よって、そこには我慢がないのです。

出来ないことは出来ない、やりたくないことは無理!と言うだけ、逆に、やりたいことは単にやるだけ。

人生はシンプルになっていきます。

貴方は何かを獲得し、誰かを模倣した凄い人になるわけではありません。

そもそも最初から、貴方という自己性やアイデンティティなど存在していなかったと言うことが解るからこそ、余計な作為がなくなり、あるがままで生きられる誰でもないオンリーワンへと進化するのです。

続く・・・

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9件のコメント

  1. YouTubeのメンバーシップでお世話になっておりますmhと申します。次回が楽しみです。この様なお話しを見聞きすると、以前から知っていた気がするけども、後悔や不安から自由になったわけではないという状態が、自我を楽しんでいるけれども不自由だなあと思ったりしています

    1. はいぃ🌟(●´ω`●)ノ
      ありがとうくまいます🐻
      自我の不自由さは、そこに関わらない態度でいるしか方法がないのですよ〜🌈

  2. 毎度ありがとうございます。こうした逆説的なことが普通に聞こえるようになったのはいつからでしょうか?自分の日々の生活はそんなに変わったわけでもなく、仕事は相変わらず忙しいのに、それを問題と感じなくなったのは?こんな世界なのに平和な気持ちでいられるようになったのは?

    1. 逆説的?とはよく解りません👀
      何年か前から気づいたら平和です🐻🌈

  3. 逆説的というのは言葉が間違っていたかもしれません。これまで普通に信じられていた認識の間違いに気がつくということを言いたかったんです。努力して目標達成するべきとか、自分の向上に執着するとか、、、長いこと囚われて来ましたから。
    自分がいないと気がつくことによってその執着を離れ自然と本来の自分に近づくってことですよね?

    1. でつでつ👀
      自分がいないとは、全てが幻想だということです
      行為者がいないので、今まで努力をしてきた(という行為)が、すべて勘違いだと解ったのですが、それは自然に起きることですね
      だから釈迦も修行は無駄であると説いたわけです
      修行に努力する自分がいないのですから(笑
      本来の自分はいません

  4. いつもありがとうございます。
    NORIさんの動画を聴きながら楽しく精神世界を探求させて頂いてます。
    確かに探求しても何も獲得しません…
    なんの一瞥体験もなく悟りたいとも思いません。
    でも自我の認識エラーがわかるようになり起きることに意味はなく解釈により勝手に意味付けしているだけ…本当に人生は自作自演だと知り、今を丁寧に生きることをしていたらいつも心地良くいられるようになりました。
    すると自然に相対的な考えが無くなってきて、みんな同じなんだと思えて何故か感謝の気持ちが込み上げてきました。
    ひとつの命がすべてのものを生きて、時には形を変えて続いていく…すごいことですね。
    架空の私でも今この瞬間にこのように
    思えることが嬉しく幸せです。
    どこへ行こうとも誰になろうとも思いません。ただやりたいことだけをやり
    穏やかに楽しく人生を続けて行こうと思います。
    NORIさんのおかげです。
    本当にありがとうございます😊💕🐻

    1. はいぃ⭐️(●´ω`●)ノ
      こちらこそ、ありがとうくまいます🐻
      今に寛げることが増えてくると、人生はシンプルになっていきますね⭐️
      ほとんどの場合で、現代人は過去か未来に振り回されていますから(笑
      すべてが同じで分かれていない🌈
      これは究極の事実であり神秘ですね⭐️

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