死が存在しない理由。何故なら私たちは一度も生まれていないから
人は死なない。
スピリチュアルな界隈ではよくこんな事が言われています。
これはある意味その通りだと言えますが・・・
私が長年探究してきて解ってきた事は、確かに人は死なない様ですが、しかし一般的スピ界隈で言われている様な事、例えば・・・
○死後の世界が存在する
○死ぬと天国や地獄に行く
○死後の世界は、幽界、幽現界、神界などピラミッド構造状に分かれている
○死んだら肉体の中に入っている魂が抜けて、魂だけがあの世に行く
この様なアイデアは、ほとんどが方便であると私は考えています。
もちろん私自身は実際に死んだ事がないので(笑)死んだらどうなるか?事実は知りませんし、逆にそんなことを知っている人間は一人もいないと言えます。
よって、これから私がお話しする死生観についても、あくまでも私の考察の結果として聞いていただけましたら幸いです。
自分が一度も生まれていない事にお気づきですか?

突然ですが、皆様は自分が生まれた瞬間のことを覚えていますか?
世の中には胎内記憶を持つ方もいらっしゃるので、中には自分が母親の子宮から産道を通って外の世界に出てきた瞬間を記憶している江原さんの様な方もいますが(笑)、ほとんどの方は誕生の瞬間の記憶なんて無いはずですし、むしろ健全な自我を持っている以上それが正常だと言えます。
誰もが自分の誕生日は知っていると思いますが、では誕生日とは何かを少し考えてみましょう。
誕生日とはあくまでも、貴方の肉体が母親の体から出てきた瞬間を、医学的、或いは社会システムの都合上、役所に届け出て記録したの日時のことです。
それを私たちは「生まれた日」と定義付けしているに過ぎません。
では貴方の命は、何時から存在としてあるのか?考えたことはありますか?
貴方の肉体は、父親の精子と母親の卵子が合体して出来たものです。
当然のことですが、父親の精子も、母親の卵子も、合体して貴方の肉体に成長する以前から、生物学的には生きていたはずです。
精子は生きているからこそ、健気に産道を泳いで行けたわけです。

そんな精子君を迎え入れる卵子ちゃんも、当然、精子君がやってくる前から生きています。
勘の良い方はすでにお気づきかと思いますが、生きている「命」が発現したポイントが何処なのか?という答えが出せないことに気づけるはずです。
誰でもご先祖様がいる様に、私たち人間に限らず有性生殖を行う生命体は、オスとメスの命を何億年もずっと繋いできています。
簡単に言うと「命の始まり」と言う出発点が、どうしても見つからないのです。
命が何時から始まったのか?
この問いにちゃんと答えられる科学者は存在しません。
私たちの肉体は母親の産道から外へ出ていき、その瞬間を誕生の日として便宜上記憶していますが、しかしならがら、有機体の生命活動を司る命のスタート地点は、どこまで遡っても見つからないのです。
私たちは、自分の誕生日を境目として「自分が生まれた」という感覚を信じています。
しかし、よくよく考えてみれば、私たちは誰も生まれたことなんてないのです。
自分の意志とは何の関係もなく、気づいたらすでに存在してた!というのが事実なはずです。
生まれる瞬間と死の瞬間は、錯覚に過ぎない

人間の子供の場合は、だいたい1歳くらいになると自我が発現してきます。
それまでの子供には、自己感覚がありません。
自己感覚とは、自分が存在しているという感覚であり、その感覚が発現するためには、自分と自分以外という相対的な認知が必要となります。
この瞬間が自我が芽生えた瞬間であり、スピでいう分離の始まりです。
では、貴方の自我はいつ生まれたのか?
実は、この問いについても、自分自身では答える事ができません。
誰もが、気がついたら「自分」という感覚が既にあったわけであり、私たちは最初から何のコントロール権も持たないまま、気づいたら「自分がいた!」のです。
では、死についてはどうでしょう?
自分がいると言う自己感覚の最初の発動を、私たち自身が確認する事が構造的に不可能であるのと同様に、死についても、私たち自身が死を確認することは不可能であると言えます。
皆さまは自分が眠りにつく時、眠る瞬間を体験したことはあるでしょうか?
これは誰でもそうなのですが、私たちは自分が眠る瞬間(意識が消える瞬間)を自分自身で体験することはできません。
もちろん、目が覚めた際「さっきまで寝ていた」という過去の記憶を想起することはできます。
しかし、「さっき意識が消えていたな」と、今この瞬間に思考が動き始めたら、すでに意識はある状態なので、実際には意識自体は消えていないということになります(笑
これは、死についても同じです。
私たちは、自分の死を経験できないのです。
常に在る意識と存在感
では、死んだら何もかも無くなり終わるのか?と言うと、おそらくそうではありません。
これは、瞑想の実践や普段からの内的探究、これまで培って来た哲学的知識や、世界中の覚者と呼ばれるマスターの知恵もお借りして総合的にお伝えするならば・・・
死んでも何も変わらない。
というのが、私の考えです(笑
肉体精神機構が消えるので、おそらく自我は消えることになります。
しかし、意識は消えない。
根源である意識は、それ自体が消える事ができない「絶対的な何か」であるのは間違いがないと、私自身は感じています。
意識は、どうやってもそれ自体を認知している「それそのもの」です。
認知そのものが在る以上、在るという存在感覚は、消えるという体験をすることが出来ないのです。
死後の世界は存在しない
一部のスピや一神教の界隈では、あの世には天国と地獄があり、肉体が滅んだ後は肉体の中に内包されていた魂と呼ばれる本質的な何かが、あの世の世界に行くのだ、と伝えられています。
しかし先ほどもお話ししたとおり、まず言えるのは、私たちは誰も生まれた瞬間を知らないのです。
気づいたら自我が芽生えて自己感覚を持ち抱えていますが、しかしそれ以前から肉体細胞のアミノ酸やタンパク質は、確かに生きているわけです。
生きているという性質を持つ命は、始まりもなくずっと続いていることから解る様に、この命の循環は、終わりがないと言えるのです。
命は死ぬ事が出来ない。
死ぬ事が出来ないのだから、死は存在しない。
一部のスピや宗教は死後の世界を説きますが、では、この世とは何でしょうか?
先述した様に、私たちは一人一人が脳内で作り出す仮想シミュレーション世界を生きているのだと言えます。
しかし、その仮想世界を見ているのは貴方という自己性です。
世界とは仏教用語であり、
世 = 時間
界 = 空間
を意味します。
つまり、世界とは時空間のことです。
時空間は幻想であると言えるので、この「世界」が幻想なら、死後の「世界」も同様に幻想だと言うことになります。
誰も生まれず、誰も死なない

ニサルガダッタ マハラジが残した有名な言葉。
誰も生まれず、誰も死なない。
生まれてもいないから、死ぬこともありえない。という非常にシンプルな話です(笑
これが、死生観を高い解像度で説明する言葉だと私は思います。
そして、私たちの自我が、命を保有しているのではありません。
「命」という消滅する事が不可能な何か?が、今この瞬間に「あなた」という自我感覚を見せかけながら生きているのです。

続く・・・