貴方が伝えたいことは全て貴方宛のメッセージです〜写し鏡の自作自演ストーリ(無記・十牛図)〜
鏡の法則。
少し前にスピリチュアルな界隈ではこの様なワードがよく語られていました。
相手は自分の写し鏡。
まさにその通りだと言えますが、今日はこうした写し鏡の認知構造をもう少し深く語ってみようと思います。
本当に理解に至ったことは伝えたいという欲求が消える

仏教では無記という言葉があります。
無記とは、釈迦が誰かに説法を行う際、あえて回答を避けて「何も言わない」を決め込んだ態度のことです。
もちろん釈迦は、弟子に質問されたことの答えを知らないから、黙り込んだのではありません。
答えを言ってもどうしようもない。
あるいは、答えを言語で伝えることはできない。
もしくは、答えなどそもそも存在しない(笑
こんな問いに対しては、釈迦は無記を決め込んだのです。
私の様なスピリチュアルな話をするメッセンジャーにはある特徴があります。
それは何か?というと、解っていない人ほどエネルギッシュにとてもよく語るという特徴です(笑
例えば、皆さんもこんな経験があると思いますが・・・
美味しいイタ飯屋を見つけた時、誰かに教えたくなりませんか?
面白い映画を観て感動した時、誰かに伝えてこの気持ちを共有したいと思いませんか?
人間が「知る」という刺激を受け取った時、脳内ではドーパミンが活性化し、それを伝えたい!という衝動やモチベーションが動き出します。
これは、スピリチュアルやノンデュアリティの界隈でも同じであり、エネルギッシュに発信をされる方は、「気づき」を得た直後のまだ興奮状態にある方が多いものです。
よって、YOUTUBE上で活動するノンディアリティ系のメッセンジャーも、目覚めたばかりの方はとっても元気がよくて活き活きしています(笑
これは、十牛図でいうところの「3見牛」から「5牧牛」あたりで起こりやすい衝動で、巷では「悟りハイ状態」なんて言われています(笑

もちろんそれが悪いというわけでは無く、この段階のメッセンジャーはある意味使命感を見出し、非常に情熱的に真理を伝えようとするものであり、情熱的であることは素晴らしいものです。
しかし状況が落ち着いてきて「7忘牛存人」や「8人牛俱忘」まで進むと、悟りとか目覚めとかは、ある意味どうでも良くなります(笑
この段階にくると、メッセンジャーの多くはあまり喋らなくなる(喋るモチベーションが消える)という状態になることが多い様です。
そして、そんな状況をも超えると、今度は「9返本還源」「10入鄽垂手」と進んで行き、今度は非常に落ち着き地に足がついた態度でメッセージを伝えることになる様です。
誰かに伝えたいことは、全て自分宛のメッセージです

さて、ここで大事になるのは、こういった気づきを、私たちは一体誰に伝えようとしているのでしょうか?
相手も自分も観念の産物であり事実としては存在していないのに、それでも語ろうとしてしまうモチベーション。
実は、「話したい」「伝えたい」というモチベーションは、すべて自分自身に対するメッセージだと言えるのです。
例えば貴方は、自分が歯磨きできることを、わざわざ他人に自慢したいと思いますか?
地球が丸いということを、誰かに伝えたいと思いますか?
おそらく、そんなことは当たり前なので、いちいち誰かに伝えようなんて思わないことでしょう。
「気づき」とはそういうものであり、本当に解ってしまいそれが当たり前になると、実はその件に関してはもうどうでも良くなるのです(笑
伝えたい! = 自分が解ってない!
なのです
もしくは・・
伝えたい! = 自分が気にしている部分(シャドウ)
なのです(笑
というわけで、私自身も今こうして一生懸命誰かに伝えようとしている時点で、実は全然大したことない道半ばのポンコツなのです(笑
これが、本当に解ってしまった者「釈迦」が無記を決め込んだ理由です。
釈迦は誰かを救おうとはしていなかった

釈迦は世界が幻想であることを見抜きました。
自分も相手もただの概念であり、事実としては存在していないことを知ったのです。
では、釈迦は一体誰を救おうとしたのでしょう?
実は、釈迦は誰かを救おうとしたのではありません。
慈悲に満ちた覚者の態度は、一見すると人助けをするために世界を巡礼していた様に映ります。
しかし、意識構造を見抜いてしまった者は、救う者と救われる者の相対性が幻想であることも見抜いています。
救う人も、救われる人も、本当はいないのです。
クリシュナムルティも各所を周り公演活動を続けたそうですが、しかしその活動に信念や目的があったわけではないのです。
クリシュナムルティ曰く、「そうしたいから、そうしている」のです。
だから私自身も、釈迦やクリシュナムルティの教えにならい、私がこういった活動をするのは、単に「そうしたいから」ということにしておきます(笑
私は動画を作ったりブログを書いたりすることがどうやら本当に好きな様で、2017年からもう9年もこんなことをしています。
そして、私がこうして投げかける様々な言葉は、すべて私自身に当てられているのです。
一度、本当に解ってしまった感覚が訪れたことがあり、その時はもう話すことが無くなったし、やることは何もないと感じたものですが、しかしそれは一時的な勘違いであり、依然として私は何も知らないし何も解っていません。
だから、今後もこうしてメッセージを伝え続けることができるのです。
すべて解ってしまったら、あとは無記を決め込み黙り込むことでしょう(笑
医師でもありノンデュアリティ系のメッセンジャーでもあるリック・リンチツは、著書の中で、「私は講演に呼ばれたから、特に理由もなくこういう話をしているだけです(笑」と語っていたのが印象的でした。

本当はやりたくないけど、非二元の話をしてほしいって頼まれたから仕方がなくしているだけだという態度は、とっても正直で面白いと思います(笑
二十代半ばで覚醒をしてしまい一躍ノンデュアリティ界隈の天才として祭り上げられたケン・ウィルバーは、あまりにも早くに世界の虚構を見切ってしまいました。
余生はその有り余る才能の使い所を見つけるべく、「インテグラル理論」に情熱を注いだのだろうと、私は勝手に想像しております。

そんなわけで私も、今後も自分自身に言い聞かせる自作自演語りとして、これからもブログや動画を続けていく次第です🎵
続く・・・