貴方とは誰か?誰も自分を証明できない。なぜなら貴方は最初からいなかったから

名前をつけることによって事象を概念化する
貴方とは誰か?
これを聞かれて、自分の体の特徴や性格を話すことはできても、貴方自身はどの様にしても説明ができません。
同様に、今貴方が見ている世界についても同じであり、何気ない景色を見ていても、私たちの思考は瞬時に、「あれは山だ」「あれは建物だ」「あれは人間で、日本人で、若い女性だ」などと、無自覚に概念で処理をしています。
これは以前の記事でもお伝えしたことになるのですが、言い換えるなら、わたしたちは名前をつけることによって概念化された仮想時空間を脳でこしらえているのです。
そして、無自覚のうちに仮想現実を生きる自分と相手、自分と世界、主体と客体と言った二元性の奴隷になっています。
さて、ここまでの話で「確かにそうだ!」と腑に落ちた方はどれくらい居るのか分かりませんが、こんな話は数百年前だったら、一部のエリート階級の哲学者や、あるいは修行僧の間でしか語られえない話題でした。
しかし近年は、この程度の理解でしたら既に多くの方が直感的に感じ取れる時代になってきたと言えるのです。
貴方も私も思考による概念化によって生み出されているイメージングであって、本質的にはこの世界は存在せず、貴方も私も幻だと言えます。
まさに、目覚めの時代に入っていると感じませんか?
一体誰が悩みを抱えているのか?

般若心境には「色即是空空即是色」という言葉があります。
「色」「即是」「空」とは、
「貴方が見ている現象世界」(=即是)「実態がない」
ということです。
わたしたちは、日々外側に起きる現象に対してラベリングを行い、そのラベリング自体も自身の観念に基づいています。
こんな思考のループが、常に現代人の頭の中で繰り返されており、この思考癖がつまるところ、なんとも理解し難い生きる苦しさであり、惨めさの正体だと言い切ることができます。
しかしながら、一体全体、誰が何を悩んでいるのでしょうか?
理屈では、二元性が幻想だと理解できるが、そうは言っても頭の中の思考は消えないし、どうしても悩みごとに飲み込まれてしまうのは誰もが同じ。
こんな方が多いことでしょう。
よく、悟りを開くと思考が全てなくなり、あらゆる悩みから解放される・・なんて話がありますが、ああいった話は少し誤解があると言えます。
簡単に言うと、悟りという状態があるだけであり、厳密には悟った偉い人や、涅槃に達した凄い人がいるわけではないのです。
どの様な意識状態になろうと、わたしたちは肉体を持ってこの地球上に生きているので、お腹も減るしトイレにも行きたくなります。
当然、性欲もあるでしょうし、どんなに聖人君主ぶった人でも、たまにはイラッとすることもあるでしょう(笑
なので、俗説でよく言われる様な、悟った人は一切イライラしたり怒ったりしないとか、悟った人はお尻が15cmぴょんぴょん跳ねるとかw
悟った人は人格者なハズだ!とか、悟った人はうんこもおしっこもしないんだ!とか言ったイメージングは、オタクが考える、アイドルは彼氏が居なくてうんこもおしっこもしない説の様な話と同じであり、よくある勘違いだと言えるのです。
では、目覚めた人とそうでない人は何が違うのか?というと、例えば、何か思考が湧いた時でも、思考に飲まれて思考そのものと同化しているか?それとも、思考を観照し思考に飲まれていないか?だと言えます。
そのため、いくら強烈な見性体験により自我が幻想である事を見抜いても、肉体を持っている以上、時間が経てば誰でも思考に飲まれそうになります。
お坊さんが悟りを開いた後でも瞑想や修行を辞めない理由はそのためだと言えます。
これは悟後の修行と呼ばれており、むしろ覚醒体験のその後、自我とどう向き合うか?が試されているのです。
主体と客体・二元性の幻想に気づく
私たちは普段、自分の意思で選択をしたり、計画を立てたり、過去のことを悩んだり、未来のことを心配したりしていますが、実のところ、それを行なっていた貴方という存在はただの概念にすぎず、最初から選択を行う貴方はいなかったのです。
行為者が自由意志を持って自分の意志で思考したり行動していたという感覚自体が、完全に勘違いだったのです。
貴方という主体が幻想であれば、当然、個人の自由意志は存在しません。
これがスピリチュアリティの究極な事実です。
そして今、脳科学の界隈でもこのことが証明されていています。
気になる方は、マイケル・S・ガザニガ博士著書「わたしはどこにあるのか?」を読んでみてくださいね。
ちなみにYoutubeのメンバーシップ動画では、マイケル・S・ガザニガ博士の「わたしはどこにあるのか?」の解説を何度かしておりますので、こちらも興味のある方はどうぞ🎵

悩みは全て勘違い

あらゆる悩みごと。
今まで頑張って努力してきた、苦しみに耐えてきた、という貴方の記憶は、「私が意思を持って自発的に行為していた」という最大の認知のエラーに気づくことによって粉砕されます。
これは、今まで真剣に努力をしてきて、誰でも努力をすれば成功できる!などと嘯く自己啓発家には、たまらなく堪える話でしょう。
しかし、この事実を知ることは、新時代に向かうための大きな気づきです。
貴方は、最初から何もしていなかったのです。
だから、逆にいうと、貴方はこれからも何もする必要はありません(笑
もちろん、何もしないという言い回しは、仕事をサボってずっと寝てろ!といっているわけではないですが、このあたりのニュアンスは追々話していこうと思います。
そして、こいった気づきは、キリスト教でいう「罪」からの解放だと言えます。
聖書でいう罪とは、世俗で言われている様な、自分が犯した悪いことを神様や牧師に告白することではありません。
そもそも自分で選択していないし、選択している自分自体が幻想だし、最初から誰の責任でもなかった!だから、私たちは最初から神に許されていたのだ〜!というのが、聖書でいう贖罪の本当の意味だと言え、こんなことに気づかなかった最大の認知エラーが「罪=的外れである」という意味です。
このロジックは、仏教では六道輪廻からの解脱として説明がされています。
これもよく誤解されていますが、六道輪廻は死んでから地獄で餓鬼になって苦しむとかいうオカルトな話ではなく、単に、精神状態のバイオリズムが6つのパターンで循環してしまうので、このトリックを見抜き、状況に翻弄される思考パターンから自由になりましょう!という教えなのです。
こういった事に気づいていく認識のパラダイムシフトは、特に今まで自我に飲まれて激しく感情や思考に振り回されていた方ほど、生きることが一気にラクになることでしょう。
そしてこちらのブログでは、思考や感情に飲まれない方法、つまり、深刻さから解放されてお気軽楽ちんに生きるヒントを、これからも具体例も出しつつ紹介していくつもりです。
続く・・・
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