もしも全てが思い通りになる世界があったら、そこは地獄でしか無い(一切皆苦)幸福とは?

思い通りにならない状態に抵抗し続けてしまう苦悩

もしも、すべてが思い通りになる、天国の様な世界があったら?

それはどんな世界なのか?考えてみましょう。

朝、あなたは目を覚まします。

あなたはお腹が空いていることに気づき、空腹という苦悩を消すために何かを食べようとします。

しかし、ご飯を食べるためには一旦ベッドから起き上がり、数メートル先の冷蔵庫まで歩いていき「ご飯を確保する」という一連の作業をこなさなければなりません。

1、ベッドから起きる
2、冷蔵庫まで歩く
3、冷蔵庫を空ける
4、プリンを発見する
5、プリンを食べる
6、空腹という苦悩が消える

最後目標である「空腹という苦悩を消す」を達成するためには、なんと1〜5までの作業が完璧に求められるのです(笑

しかし、もしもここが本当に天国なら・・・

あなたは超能力を使って、冷蔵庫のプリンを枕元までテレポーテーションさせることが可能かもしれません👀

もしくは、幽体離脱をして冷蔵庫まで飛んでいき、プリンを食べることが出来るかもしれません。

しかし、繰り返しますが、ここは天国です⭐️

本当に苦悩を感じたくなかったら・・・

あなたは、1〜5までの作業を無効化するのではないでしょうか?

つまり、人間にとっては「そもそもお腹が空かない」、つまり「1〜6が必要ない人間仕様」のほうが、最初から「お腹が空く」という不足感を体験せずに済むので、完全な満足に近いはずです。

仮に天国の様なところで、人が苦悩を感じずに生きたかったら「美味しいものを食べたい」と思うような身体仕様ではなく、「最初からお腹が空かない」という身体仕様のほうが、はるかに幸福感を感じることができるはずです。

なぜなら、美味しいものを食べるという喜びを体験しようと思ったら、お腹が空いているという「渇望状態(苦悩)」が必要だからであり、この一連の流れには苦しみが必須的に介在しているからです。

ということは、例えば私たちが人生の目的を「経験や体験」と仮定するならば、そこには「不満足+満足」がワンセットで用意されていることになります。

「不満足な状態」が存在しなかったら、私たちはそもそも何かをしようとは思いません。

なぜなら、現状で問題ないからです(笑

何かをしたい!という衝動は「不快を避けたい」という衝動に代表される「現状を変えたい」という不満足感が原動力になっています。

つまり、不満足がなければ、人は満たされてるので、何もしません(笑

ということは、人が恒久的な満足感を得るためには「不満足感」は必須であり、私たちは、今後の人生において、人生で「満足」を楽しもうと思ったら、一生をかけて「不満足」を体験する羽目になるのです

不満足が必須の世界なんて、それこそ地獄だと言えませんか?

これが、仏教で言う「一切皆苦」です。

では、「不満足→満足」を繰り返すこの不毛のループから抜けるにはどうすればよいのでしょうか?

こういった、人間の思考システムのバグを見抜くしかないと、私は考えています。

報酬予測誤差とドーパミン報酬

人は、最初に予測した報酬よりも結果的に大きな報酬がやってきた時、予想以上に喜びます。

これが、報酬予測誤差。

例えば自販機でジュースを買う時、150円入れて150円のジュースが出てきても、それは当たり前のことであり特に嬉しくありません。

しかし、ジュースがもう一本当たり2本出てきたら、それは予想を上回る報酬であり、この報酬の誤差が過剰にドーパミンを出します。

つまり、私たちが生理学的に求めている喜びは「想定外」であり「臨時収入」なのです。

しかし、150円の入力に対してアウトプットが150円分のジュースだと、ドーパミンが出ないので喜びがありません。

しかも、報酬予測誤差によるドーパミン反応には「慣れ」があるので、同じ様な報酬予測誤差によるドーパミンが出るようなことを繰り返していても、いづれ心が慣れてしまい、もっと大きなドーパミン効果を求めようとしてしまいます。

だから私たちは、「手に入れた!叶った!」という大きな興奮を味わうために、「まだ足りない!これでは不満足!」を無意識的に追い求めるのです。

ご飯を食べる喜びを得るためには、その前段階の「空腹」という苦悩が必要です。

成長しているという快感を得るためには、「上手く成長出来ない、スムーズに行かない」という抵抗感が必ず必要です。

解った!という喜びを得るためには「解らない」というモヤモヤ感が必要です。

美しさに感動するために、私たちは「醜さを知る」のです。

この様な相対的イベントを体験するのが人生。

つまり、この世で楽しみを得よう!と思ったら、苦悩は必須になります。

この世で喜びを得ようと思ったら、悲しみも必須になります。

そういった体験を私たちは否定することはできません。

しかし、何が起きても、状況から一歩引いて離れている事はできるのです。

それが、今にあることです。

人は、幸福にも不幸にもなれない!?

「私」という自己性が、世界の中を自由選択して活動しているという勘違いがあるおかげで、私たちはチャレンジという闘争本能に興奮し、挫折という絶望の苦しみを知り、達成という喜びを知ることができます。

私たちは、自分が自力で生きているという勘違いをし続けることによって、「あらゆることが思い通り(想定通り)にならない」という必然性を味わう遊びをしているに過ぎません。

いくら「引き寄せの法則」だの「願望実現」だの言っても、欲を達成してハッピーな気分になっている状態は、ギャンブルでたまたまお金が入ったのと同じ様な心理状態であり、それは単に興奮に酔っているだけです。

臨時収入が入った、新しい人脈ができた、友だちができた、恋人ができた etc..

それらが本質的に幸福であるかどうか?なんてことは、ある程度長く生きてきた方ならもうお気づきかと思いますが、多くの方が求めている幸福の定義とは、「一時的な満足状態」を示しています。

もしくは、私たちが一般的に考える幸福とは、「お腹が空いていない状態」であり、「足りている状態」なのです。

つまり、満足をしている状態を私たちは常に求めています。

思い通りになると言う喜びは、思い通りにならないという不足感が必須。

こういった心の状態は確かにハッピーですが、それは「獲得の一時的喜び」であったり、「プラス」として加算されている条件付きの幸福状態です。

プラス加算が幸福の条件だということは、その幸福は時間とともに消えていくのはご周知の通り。

つまり、「物質的に満ちている(足りている)」幸福感は、すなわち満足感であり、その満足は、物質的条件である以上、消えていきます。

よって、私たちは本質的には幸福になることは出来ず、満足を重ねることでドーパミン刺激を出して、喜びの興奮を継続させようとしているだけなのです。

同様に、何かしらの喪失を感じたときに私たちはそれを不幸と呼びますが、足し算や引き算で得られる心の満足感や喪失感は、どちらも錯覚であり、心の振り子が左右に揺れている状態でしかありません。

では、私たちはどのようにして幸せになればいいのか?

その答えは、「幸せでなくてもよいし、満たされていなくてもよい」という理解です。

獲得をしたら満たされ、離れてしまったら喪失感を味わうのは、すべて自作自演でしかなく、私たちは本来、すべてを持っていると言えますし、何も所有していないとも言えます。

つまり、幸せや不幸を推し測る物差しの存在自体が虚構だと気づくことであり、ただ淡々と生きていれば、それでもう十分なのです。

そして、その様なマインドセットに近づけていく習慣が「感謝」や「謙虚さ」だと思うのです。

続く・・・

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3件のコメント

  1. こんばんは。
    いつもありがとうございます。
    そこそこ歳を重ねてきて一切皆苦…
    それすらも愛おしく思えるようになりました。
    今心地良く過ごしていれば心地良いことが起こりそこでまた感謝する機会を頂き、幸せや不孝を感じることもなくただ自然の中を穏やかに流されているような感覚です。
    本当に生きているだけで十分なのですね。
    心に沁みるブログでした。

    すみません余談なのですが最近「沈黙の声」という書籍を入手しました。
    もしかしたらあのチャンネル名はここから?なんて思ってしまいました😅

    ありがとうございました☺️✨🐻

    1. こちらこそ✨️いつもありがとうくまいます(●´ω`●)ノ
      わたしも、人生の何もない苦悩を楽しんでいますっ😁笑
      本当に生きているだけで十分🌈
      沈黙の声の元ネタは「H・P・ブラヴァツキー」という方みたいですね!

      1. お返事ありがとうございます。

        はいぃ!人生の何もない苦悩を楽しみます🤣💓

        沈黙の声、やはりそうなのですね。
        腑に落ちます。
        NORIさんのチャンネルで色々な気づきを頂いてそれらが私の中で少しずつ繋がってきている感じがしてワクワクします♪
        ありがとうございます🥰✨

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