自分も相手も幻想☆選択や考えを巡らす貴方という存在は概念でしかない
インドの思想家クリシュナムルティは、「世界は貴方であり貴方は世界だ」と説きました。
これはどういう意味なのでしょうか?
基本的に私たちは、思考の檻に囚われていると言えます。
この思考の檻は、自身の記憶を元に作られた自動的にパターン化された観念です。
もう少し説明していきます・・・
自我とは何か?

例えば生まれたばかりの赤ちゃんには自我がないと言われています。
同様に、動物にも自我は存在しません。
では人間だけが持つ自我とは何なのか?
それは、五感から入力された外部刺激を脳で再演算することにより、各々の脳で仮想現実を作り上げるプロセスだと言えます。
この時に当然ながら、仮想現実を見る側としての意識があるわけですが、同時に見られる側も存在することになります。
これは分かりにくい話かもしれませんが、生まれたばかりの赤ちゃんは、「見る側」と「見られる側」が存在していません。
それが、五感から外部情報の入力を感知し続けるに従って、自然と「見る側(私)」と「見られる側(母親などの別の人)」が生まれます。
スピリチュアルでよく言われている「分離」の始まりです。
それまでの赤ちゃんは、「自分」という自己性は持ち合わせていませんでした。
しかし、見る側としての意識(つまり主体)が生まれた瞬間、見られる側(客体)が生まれたのです。
この様に、この世界は思考によって二元的に分離をするようになっており、私たちの思考は、物事を二元的に捉えることしかできません。
この二元的な相対分裂が、つまるところ自我に目覚めた人間の「苦」の始まりだと言えます。
貴方も私も幻想です

赤ちゃんは、母親から名前を呼ばれ続けることで自己性を固めていきます。
言い換えれば、名前を付けることにって、現象は概念化します。
これは、仏教で言う「分別」です。
そのため仏教では「無分別」というワードが語られ、二元的に分離していることが本来は誤りであることを見抜く事を説いているワケです。
生まれたばかりの赤ちゃんには分離がなく、つまり意識が二元的に分裂していません。
ということは、二元的に分裂している状態は、人間の意識の本来の姿ではないと言えます。
では意識の本来とはどの様な状態なのでしょうか?
スピリチュアル好きな方が聞き慣れた言葉で言い換えるならば、ワンネスという言葉がしっくりくるかもしれません。
あるいはノンデュアリティという言葉が近いかもしれません。
それは、自分と相手、主体と客体が発現する以前の状態であるのですが、残念ながらここから先はどのように言語化しても例え話でしか示すことが出来ない領域になります。
なぜ言語化不可能なのか?
それは、わたしたちの言語が、つまるところは思考そのものであり、これから私が話そうとしている意識の事実の話は、思考ではない領域の話になるからです。
それでも無理やりこの話を進めるならば・・・
例えば、貴方にこんな質問をしてみましょう。
「貴方は、貴方自身を説明することはできるでしょうか?」
こう問うと、大抵の人は「そんなの簡単じゃん!」と言って、自分の話をペラペラと話し出します。
貴方も私も概念でしかない

自分は、何年何月の何処どこに生まれて、仕事は何をしていて、こういう性格で、こんな感じのパートナーがいて、こういう考え方をもつ、こういう人間だ〜🎵と、自分自身について話し出すことでしょう。
しかし、その自己紹介は、貴方そのものを示すものではないとお気づきでしょうか?
自己紹介は、貴方の国籍や使用言語の説明であったり、貴方がしている仕事(職業)であったり、貴方の性格(アイデンティティ)であったり、貴方の体の特徴であったりするもので、貴方自身を指し示しているわけではないからです。
実は、「貴方とは何か?」と問われた時、貴方は貴方自身を証明することはできないのです。
「いやいや、私はこういう人間だ!」と、貴方は自分の顔を指さすかもしれませんが、それは、貴方の顔、貴方の鼻の頭、貴方の指の細胞の話であり、貴方そのものではないのです。
つまり、貴方とは誰か?を、貴方自身が説明できないという奇妙な状況に気づけると思うのです。
これはなぜか?
そもそも、貴方という存在は概念上の産物であり、最初から存在していないからです。
同様に、私も概念であり、別記事でも示した様に世界が仮想現実だということは、世界もただの概念にすぎないということなのです。
そんな概念世界を見ているのがわたしたちの意識です。
そして、世界が概念にすぎない!と見抜くことが、この苦悩を終わらせるヒントになるのです。
続く・・・