ノンデュアリティを隠れ蓑にして現実逃避をしてしまう罠、スピリチュアル・バイパスとは?
スピリチュアル・バイパスとは、アメリカの心理学者ジョン・ウェルウッド(John Welwood)が1984年に提唱した概念で、のちに心理療法家のロバート・A・オーガスタス・マスターズらが深く掘り下げた心理現象です。
一言で言えば、「現実世界の泥臭い課題や、自分自身の心理的な傷、未熟さから逃げるために、スピリチュアルな教えや実践を隠れ蓑(バイパス=迂回路)にしてしまう状態」を指します。
今日のブログは私自身の自戒も込めて書いていきますが、コレがなかなか厄介なわけで(笑)
スピリチュアルバイパスは・・・
●私の様な知識探究が過剰に好きな変態
●不思議体験を追い求める神秘体験マニア
●悟り=成長と捉え、上を目指すのが大好きな方
●ある日突然覚醒体験が起きてしまった方
こんなパターンの方が陥りやすい罠かと思います。
何だかんだ古来からある経典の叡智はすごい
インド哲学や仏教など、東洋哲学を学べば学ぶほど、ちゃんとよく考えられているなぁと感心します。
古来から存在する経典の多くに隠された体系化された叡智は、ちゃんとバランスを考えて作られています。
たとえば、数年前から日本ではノンデュアリティというジャンルが流行り出し、「わたしはいない」というパワーワードがスピ界隈を一世風靡しました。

それまでの日本では、龍神様やらお狐様やら守護霊さんやらの「ご利益スピリチュアル」がメインでしたが、そこへ、「今までにはない新しいスピリチュアルのスタイルが発見された!」と言った大きな誤解のもとに、一時的に大流行したのがノンデュアリティです。
しかし、ノンデュアリティ(非二元)は、アドヴェイタ(サンスクリット語で不二一元 = 非二元)という教えとして紀元前から存在するわけであり、特に目新しいメッセージではありません。
アドヴェイタの場合は、ヨガや瞑想、食事法など、トータルの教えが含まれるわけですが、なぜ知識だけでなく、身体を使った実践が大事なのかというと、簡単に言うとバランスを崩した探究は社会生活が崩壊するからです。
しかしながら日本では、まだまだノンデュアリティという単語だけが勝手に一人歩きをしていて、「わたしはいない」とか「すべて幻想」という言葉がスローガンとなり、無作為に持ち運ばれている様な気もします。
覚醒によって社会生活が崩壊する危険
近年は、何の前触れもなしに一瞥だけが起きてしまう方が続出しております。
これはこれで、まさに目覚めの時代!アセンション☆うぇ〜ぃ(●´ω`●)ノって感じで喜ばしいイベントなのですが、
しかし覚醒体験の後、精神不安定になるパターンが非常に多く、そんな人を外から見ていると、スピリチュアルで頭がおかしくなった人に見えてしまいます(笑)
本人は覚醒により幸せいっぱいの場合もありますが、どちらかと言うと突き動かされる様な衝動が続いて体が疲弊したり、自律神経がおかしくなったり、まともに会社勤めができなくなる方も多い様に思えます。
覚醒よって仕事を辞めてしまう、人間関係をリセットしてしまう、パートナーと別れてしまうなど、身の回りの変化が起きることも多々報告されています。
もちろん、この様な状況でも本人が幸せいっぱいなら良いのですが、皆んなが皆んな「良い感じ」になるわけではなく、社会生活が壊れて、逆にエゴに飲み込まれてしまい、苦しい世界に逆戻りしまうパターンも多々あるのです。
こいった「エゴのぶり返し」は、おそらく多くの方が経験していると思われます。
そうならない様に、仏教にしても、ヴェーダにしても、古くから伝わる経典はよく考えられて作られており、瞑想、ヨガ、ボディーワークの実践の大切さを説いているわけですが、これらは簡単に言うと、安全に覚醒し、その後もちゃんと社会生活を送るための実践ワークなのです。
つまり、自我を破壊するような急激な目覚めを促すのではなく、自我を溶かす愛のスープを少しづつ味わい続けるイメージです。
その最も簡単でお手軽な方法が、おそらく瞑想なのだと思います。
そんなワケで、わたしも今やすっかり瞑想中毒になっています(笑)
瞑想の根幹の目的は覚醒を促すことにありますが、しかしながら、悟り等を別にしても、瞑想を毎日続けているだけで、日常的な気分がぜんぜん違います。
簡単に言うと、反芻思考が減り「いい感じ♪」の心理状態が、継続しやすくなるのです。

スピリチュアル・バイパスに落ちる原因は?
話をスピリチュアルバイパスに戻します。
スピリチュアル・バイパスの最大の問題は、グローイング・アップ(地上の歩き方)で挫折した人が、健全なエゴを作るステップを拒否して、ウェーキング・アップ(宇宙への飛び立ち方)の知識だけで自分を構築しようとしてしまう点にあります。
これは私の見解ですが・・・
スピリチュアリティやノンデュアリティの学びがあるのに、社会生活がオカシクなっている点で、それは探究の方向性がどこか間違っていると思うのです。
ちゃんとバランスよく気づきを重ねていけば、仕事も人間関係も、スムーズに改善されていくはずだと私は考えております。
このあたりはメンバー動画ではよく話すネタなのですが、ケン・ウィルバーのスパイラルダイナミクス理論や、インテグラル理論を持ち出すと、割とスッキリ理解できるのかな?と感じます。

↑ 話を面白くするためにあえてお下劣な言葉を使ってます、すいませんw😅

↑ こちらはインテグラル理論の概念図です。
非二元探求をする以前に自我の発達が追いついていないパターン
パターン的には少ないと思いますが、わたしも何件か事例として認識しているのは、非二元や哲学の探求ばかりに夢中で、自我の発達がまったく追いついてないパターンです。
これは何故か男に多いのですが、しかしながら、その方がまだ10代や20代くらいなら、自我の発達が追いついていなくてもある意味それも当然だと言えます。
女性でこのパターンに陥ることが割合的に少ないのは、簡単な話、男よりも女の方が平均的に精神年齢が高からです。

ケンウィルバー的に言えば、前個人段階(プレパーソナル)を、超個人的段階(トランスパーソナル)と勘違いしている状態です。
以前からお伝えしている通り、覚醒=人格者、になるわけではありません。
仮に悟りが起きても、バカが悟れば、悟ったバカが出来るだけです(笑)
悟ったからといって、聖者になるワケでもなけでもないのです。
そんなワケで、ケンウィルバーの言葉を借りるなら、健全な自我の発達は必須だということになります。
この辺りについては、わたしの動画をいつも観てくださる方は50〜60代がメインなので、私よりも遥かに人間的に素晴らしい方が多く、あまり当てはまらない話かと思いますが・・・
しかし若いうちは、精神発達が未熟であることが当然なので、発達が未熟なまま探究を続けても、哲学をこじらせた厨二病になるだけです(笑)
そんな場合は、利他的に行動することから学ぶのが大事かと思います。
わたしも一時期、自宅前のゴミ拾いを熱心にしていました。
もし、スピリチュアルやノンデュアリティの探求をしているのに、一向に人生が好転しないのだとしたら、探求よりももっと基本的なことに立ち返った方がいいのかもしれません。
それは、「人に会ったら明るく挨拶する」とか、「困っている人がいたら助けてあげる」とか、「募金や寄付をしてみる」とか、自分が「善行」だと信じることを実践してみることです。
そして忘れてならないのが、私たちは生かされている、という感謝の気持ちを持つことです。
続く・・・
どうも「悟り」と言うラベルがくっついているかもしれないニートです
●私の様な知識探究が過剰に好きな変態
→昔はハマっていたけれど、今はそこまでの熱量がない
●不思議体験を追い求める神秘体験マニア
→これもなんちゃってスピリチュアルにハマっていたときはそれに近かったけれど、今は距離を置いている
●悟り=成長と捉え、上を目指すのが大好きな方 →悟りも思考の概念(ラベル)の一つ、ラベルより実際に現実に適応できるかが大事
●ある日突然覚醒体験が起きてしまった方 →神秘体験とは無縁(noriさん的表現では周波数が同調しない)
ND(非二元)は特に部分解釈で大きくその目的から歪曲されてしまいますね
私もアプローチ当初は当然そうでした(今でも全部分かっているなどと傲慢ぶるつもりはありませんが…NDの構造を抽出して生活に応用しているだけ)
NDを知ったからと言って何か変わるわけではない
スピリチュアルもそうだが、NDは余計に即効性は皆無なので(例:そのままでいなさい)根気よく習慣になるように(思考が介在しなくなるレベルまで)継続していくしか無いと思っています
私は居ない云々の前に、システムに生かされている(システムと不可分だった)と気づけば、別に感謝してもしなくても、合理的な行動としてそのような振る舞いになるのだと思います
はいぃ🌟(●´ω`●)ノ
ありがとうくまぁいます🐻
でつでつね👀
NDの言葉は単に喋ってる人の結果報告だけ
もちろん言葉で伝えて意識変容が起きることは多々あると思いますが、反面、言葉だけなので探究迷子になって病む人もいる
そのために何らかのボディーワークは必須かと今は思ってます😁笑
それすら(探究自体)を手放すならそれもまた完璧ですが、今度はやることが無くなるっww🤣
感謝というのは、単に社会的に生きるコツの話ですね👀
面接の時、面接官に対してこういう対応をしましょう、とかその程度の話ですw